レーシングカーデザイナーとしてACコブラ、シェルビーGT350など後世に残る名車を数々創り上げたキャロル・シェルビー氏を紹介。


政府は自動車業界の再編が必要であると考え、通商産業省はメーカー間の提携や合併を推進する姿勢を見せた。その頃、慢性的な赤字が続いていたのがプリンス自動車である。スカイラインやグロリアなどの魅力的なモデルを開発していたが、販売体制が弱く売り上げに結びつかなかった。


キャロルシェルビーの1966年のコブラ427スーパースネーク

巨費を投じ、ヨーロッパに新会社まで立ち上げたにも関わらず、前年のル・マンでは散々な結果に終わっていたのです。

5月30日、ロサンゼルスにある全米屈指の自動車博物館、ピーターセン・オートモーティブ・ミュージアムで、キャロル・シェルビーを偲び、その輝かしい生涯を振り返る会「Carroll Shelby A Life Remembered」が行われた。

ピーターセンミュージアム2階に特設された式典会場へと続く館内には、歴代シェルビーマシンが続々と並ぶ。62年型シェルビー・コブラの車体番号CSX2000(プロトタイプ第1号車)とCSX2001(量産第1号車)、そしてデイトナ24時間優勝マシンのGT40MkII、65年型GT350マスタング、68年型マスタングGT500KR、さらに2005年型フォードGT等々、シェルビーのアイコン的なマシンが展示され、来場者は、キャロルが手掛けた魅力的なマシンに再会した。

式典会場隣の駐車場にも、初代コブラから最新のフォードGT500まで100台以上がズラリ。関係者や現役オーナー達が会場に乗りつけたシェルビーで埋め尽くされたのだ。

午後6時55分過ぎ、式典ホスト役ジェイ・レノ(コメディアンであり、有名なカーマニアでもある)の「スタート・ユア・エンジン」という合図でオーナー達が一斉にエンジンを始動、式典開始が告げられた。これは全世界にライブ中継され、会場外でもシェルビーオーナー達が各地でエクゾーストノートを奏でたという。

1200人以上の関係者、そしてシェルビーオーナー達を前に、会場内のステージでは創世記のシェルビー・アメリカンと関係の深いフォード社を代表してヘンリー・フォードの孫にあたるエドセル・フォード2世が、またル・マンを共に戦ったダン・ガーニー、60年代からのチームメンバー、ビル・ニール、パイロット時代からの親友ボブ・フーバー、そして家族ぐるみの親交のあるベル・エア・カントリークラブのオーナー、ウォルター・ミラー氏らが、2時間にわたりそれぞれの思い出を語り、会場は笑いと拍手に包まれた。

ジェイ・レノは「僕のコレクションにフェラーリがない理由? それは、笑顔で写っているエンツォの写真を見た事がないからさ。逆にキャロル・シェルビーの写真は、笑っていないものが見つからないね」。晩年まで子供っぽさを漂わせたキャロル・シェルビーを物語る貴重なエピソードだ。

式典が終わってもなお来場者一同は会場内留まり、設置された往年の写真パネルを前に、時を忘れてアメリカン・レジェンドの思い出話に華を咲かせたのだった。

シェルビー コブラ CSX 6000シリーズ キャロルシェルビーレーシングナンバー!!! ..

後にACコブラを生み出す人物のひとりとなるキャロル・シェルビーは、そもそもさまざまなレースで多くの勝利を収めた優秀なレーシング・ドライバーだった。たとえば1956年と1957年にはSCCAのアマチュア部門でチャンピオンを獲得しているし、また、1959年のル・マン24時間レースではアストンマーティンDBRで優勝を遂げている。

■キャロル・シェルビーがACエースにアメリカンV8を搭載してACコブラを生み出した

プロダクションモデルとレーシングモデルのACコブラと写真に収まるキャロル・シェルビー【225995】

戦後の復興を果たして高度経済成長期に入った日本は、1964年に経済協力開発機構に加盟する。欧米と対等に自由貿易を行うまでに発展したのだ。1965年には乗用車の輸入が自由化され、日本の自動車産業は体質強化を迫られた。

そこで彼は、はるかに小さな規模でクラス優勝を成し遂げたキャロル・シェルビーに、社運をかけたフォード・GT40を託す決断をします。

キャロルシェルビーが死ぬまで所有していた427コブラが○○億円で落札!ブルネイ国王が所有していた珍車も登場

1966年型フォードGT40MkII。パワフルな「NASCAR427ギャラクシー」エンジンが搭載されキャロル・シェルビーによって大幅に改造が施された一台。シリアルナンバー「1015」は、デイトナ24時間レースの優勝とル・マン24時間レースで2位入賞したマシン。

60年代のGT40を40年ぶりに最新技術で復刻させたモデル。ミッドエンジンレイアウトのパッケージングはそのままでスーパーチャージャー付きのV8を搭載、0-60mph加速は3.3秒、最高速度は205マイルに達する。


【コブラ427】CSX3015キャロルシェルビー専用車スペック

一方、ル・マンの勝利で製品の高性能さをアピールできたと判断したフォードは、レース活動の縮小に向かった。シェルビー・アメリカンが手がけるマスタングのロードモデルも、パフォーマンスの向上よりもスタイルの派手さを狙うことに重点が置かれるようになっていき、1969年モデルを最後にラインナップから消えた。同じ年、キャロル・シェルビーはレース活動からの引退を表明する。マッスルカーの時代は終わりを迎えようとしていた。

シェルビーコブラのモデル概要 1962年にキャロル・シェルビーが世に送り出したシェルビーコブラは、チ..

そしてカリフォルニア・ベニスビーチにあるガレージに運ばれたフォードGT40は、優秀なクルーたちの手によりブレーキ、サスペンション、そしてエンジンまでもが作り替えられました。

本家キャロルシェルビーが唯一公認したリプロダクションモデル「スーパフォーマンスコブラ」のオーナーさんにお聞きした様子をお伝えします。

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エンジンの生産を停止したことでACエースはエンジンを失い、生産中止の危機に陥りました。 そこにキャロル・シェルビー ..

ロサンゼルスのロバートソン通りにあるピーターセン自動車博物館。駐車場3階に特設された大型のイベントホールに1200人以上が詰めかけた。

「シェルビー コブラ」の中古車 | 中古車なら【カーセンサーnet】

1968年型シェルビー・マスタングGT500KR。「キング・オブザ・ロード」の頭文字KRを冠した当時としては最強の一台。フォードのビッグブロックV8をベースに360馬力を発揮する「428コブラジェット」エンジンを搭載。

スーパフォーマンス MK3 COBRA シェルビー コブラ ライセンスドモデル 7.0L 427OHVエンジン

5月10日、シェルビー アメリカンの創設者であり伝説の名車シェルビー コブラの生みの親キャロル・シェルビー氏が、生まれた故郷テキサス州の病院で、その輝かしい89年の生涯に幕を下ろした。

キャロル・シェルビー氏は、1923年1月11日テキサス州シースバーグ市で生まれた。第二次世界大戦時にアメリカ陸軍のテストパイロットと教官を勤めた後、戦後は養鶏所経営に専念していたが、50年代にレーシングドライバーとしてデビュー。フェラーリやマセラッティを駆り3度の全米スポーツカーチャンピオンを獲得し、59年にはアストンマーチンでル・マン24時間レースに優勝するなど(F1にまで参戦)、数々の栄光をその手中に収めた。

だが翌60年、幼少時から抱えていた心臓病のためにレーサーを引退すると、スポーツカー・マニュファクチャラーへと転身。シェルビー氏は、ライトウェイトスポーツカーに高出力エンジンを搭載するパッケージングにトライし、英国AC社の2シーター・オープン「エース」にフォードV8エンジンを搭載した名車「ACコブラ」を、62年のニューヨーク・オートショーでデビューさせたのである。

同年、ロサンゼルスにシェルビー・アメリカンを興し「シェルビー・コブラ」の市販化を開始すると共に、翌年にはボブ・ボンデュラント、ダン・ガーニー、ケン・マイルスといった一流ドライバーと共にレーシング・チームを結成。
コブラベースのレーシングマシンを擁してヨーロッパのレース界に進出すると、フェラーリ、ポルシェ、ジャガーを抑え、65年にはGT世界選手権を制覇。翌66年にはル・マン必勝マシンとして開発されたフォードGT40で優勝し、さらに67年に連覇を達成するなど、一躍60年代のフォード・レーシングの立役者となった。

ビッグブロックV8を搭載した「427コブラ」やフォード・マスタングをベースにした「シェルビーGT500」といったアメリカスポーツカー史上に残る名車達を世に送り出したキャロル・シェルビー。現在でも最新のマスタングの最強モデルとしてシェルビーGT500の名を冠したモデルがリリースされるなど、アメリカンスポーツカーを語るにあたり、欠かすことのできないビッグネーミングだ。

今年は、奇しくもシェルビー・コブラ誕生50周年にあたる節目の年。この世を去ったキャロルに世界中のファンが深い哀悼を捧げたのである。

キャロル・シェルビーの戦い 生粋のカーガイ 常勝フェラーリを倒す

幸運なことに、この時期シェルビーはそれから大きな助けとなる人物と次々に出会い、親交を深めることになる。ピート・ブロック、デイビッド・エヴァンス。いずれも当時のアメリカのモータースポーツ界においては、デザイナーとして、またエンジニアとして著名な存在だ。

キャロル シェルビー セレモニー (Carroll Shelby)


シェルビー最高傑作の一つは、今も個人で使用する、コブラ427S/Cです。1965年には当初の289コブラの生産を中止、より刺激的な427へと生産をシフトします。その性能は驚異的で、一般仕様ですら390bhp、レース・チューニング・バージョンに至っては480bhp、トルク480というモンスターです。以後3年間、コブラ427は間違いなく、世界一ワイルドでエキサイティング生心の地位を占め続けました。今日でも、その希少性と驚異の性能によってナンバーワンの座を確保、コレクターの垂涎の的となっています。


現品 キャロル シェルビー レーシングコブラ : b9696 : ミニマルヤマ

4月に登場したのが、日産サニーである。開発陣は当初850ccクラスのエンジンを積む考えだったが、将来の発展性を考えてボアアップし、1リッターに拡大された。販売は好調で、5カ月で約3万台の受注を記録した。

京商 エグゾト コブラ ロードスター キャロル シェルビー ドライビング

フォードGTは、1966年のル・マンで1位から3位を独占した。シェルビー・アメリカンは翌年もフェラーリに打ち勝って勝利を手にした。ロードカーのコブラとマスタングは、ル・マンの勝利という付加価値を得てさらに人気を博した。1966年にはシェルビー・マスタングGT350が前年の4倍もの売れ行きを示し、翌年には、7リッターエンジンを搭載したGT500もラインナップに加わっている。

先月のブッツィ・ポルシェに続き、またも偉大な人物が亡くなりまし ..

自動車コレクターとしても有名なコメディアンで自身の看板番組の司会を務めるジェイ・レノが進行役を務めた。

1/12scale シェルビー コブラ 427 S/C FAM (ダイキャストモデル)


彼はレーサーとしての才能は直ちにあらわし、アメリカ各地で連戦連勝を続け、さらにルマンではアストン・マーチン・チームに加わり、さらに勝利を増やすこととなります。健康を理由に引退を余儀なくされた後は、アメリカ製のV-8エンジンを英国車,(AC Car)に取り付けるという奇想天外なアイディアを実行することとなります。こうしてできあがった「シェルビー・コブラ」は1960年代のスポーツカーレースを制覇し、ワールド、マニュファクチャラー・チャンピオンに輝きます。1966年、67年にはシェルビーGT350SでTrans-Amのチャンピオンに、1966年にはフォードGT-40を世界スポーツカー・チャンピオンシップへと導きます。

1/12scale シェルビー コブラ 427 S/C FAM (ダイキャストモデル) ..

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