でも、彼と仲間のコブラを見ると、彼が病気であることを忘れてしまいます。
「ベスト・キッド」シリーズのその後を描き、これまで5シーズン・50エピソードにわたって濃密な人間ドラマが繰り広げられてきた「コブラ会」。待望のファイナルシーズンの第1弾が7月18日(木)から配信される。
空手の指導者となったジョニー(ウィリアム・ザブカ)とダニエル(ラルフ・マッチオ)の因縁を中心に、かつての悪役ジョニーが子どもたちと共にダメ中年から脱却しようと成長していくストーリーが胸熱な本作。また並行して語られるティーンエイジャーたちの物語も魅力的で、恋愛や友情における裏切りが横行するなど意外にもその中身はドロドロ。未熟ゆえの軋轢やすれ違いが劇的なドラマを生みだしてきた。
『コブラ会』シーズン3 感想 | 日々是(ひびこれ)デス・ロード
まずは物語についてざっくりとおさらい。30年前の「オールバレー空手選手権」でダニエルに敗れたジョニーは、仕事が続かず昼からビールを飲んでばかりの生活を送っていた。ある日、隣に越してきたばかりの高校生ミゲル(ショロ・マリデュエニャ)がいじめられているところを助けだすと、空手を教えてほしいと頼まれ、かつて所属していた空手道場コブラ会を再興。新たな人生をスタートさせていく。
一方、その噂を耳に挟んだダニエルは、かつて自分を傷つけたコブラ会の復活に不安を抱くと、ミヤギ道を復興させ、父ジョニーを憎むロビー(タナー・ブキャナン)や娘のサム(メアリー・マウサー)に空手のいろはを叩き込み対抗。
「殴り合う前に話をすれば、そのトラブル避けられたのでは?」と思うほど子どもたちがあまりに喧嘩っ早く、また仁義を欠いた裏切りを連発することに定評のある「コブラ会」。情緒の不安定な子どもたちのなかでも物語を動かすきっかけとなるミゲルは比較的落ち着いたいい子だが、恋愛にはだらしない一面もあり、それが原因で激動の日々を送ってきた。
いじめられっ子のミゲルはコブラ会1人目の生徒となると、いじめっ子のカイラー(ジョー・セオ)を撃退し、彼と揉めていたサムの心を射止め、すっかり薔薇色のスクールライフを送ることに。しかし初めての彼女に入れ込みすぎて、酒の勢いでサムが親しげにするロビーに突っかかり、サムには愛想を尽かされてしまう。
Netflix『コブラ会』シーズン3あらすじ・ネタバレ感想・キャストなど
その後、コブラ会の一員となったトリー(ペイトン・リスト)といい感じになりつつも、パーティーの弾みでサムとキスしてしまい、その様子をトリーが目撃。この痴情のもつれを発端に学校でコブラ会vsミヤギ道の大乱闘が起きると、その最中に2階から階段の手すりに背中から叩きつけられ、一時的に下半身不随になる大怪我を負うことに。
二度と歩けなくないかもしれない状況のなか、スパルタ特訓により再び立ち上がると、ジョニーが新設したイーグルファングカラテのエースとして復活。コブラ会の打倒という目的でミヤギ道とイーグルファングが手を取り合うなかで、サムとも復縁。かと思えば、パーティーでのおいたがバレて距離を置かれたりと、付かず離れずを繰り返し、シーズン5のラストでついに元鞘に収まった。
ファンダム時代を象徴する人気ドラマ「コブラ会」(2018〜)のミゲル・ディアス役で一躍その名を知られることとなったショロ・マリデュエニャ。
そんなミゲルのライバルとなるのが、ジョニーの息子ロビーだ。親の離婚後、酒浸りの母のもとで荒れた生活を送っていた不良のロビーは、ミゲルを子どものようにかわいがるジョニーへの復讐のためにダニエルに接近。そこで人間として接してくれるダニエルにほだされ、彼の家に居候しながら空手を学んでいく。
大会では惜しくもミゲルに敗れたものの、父親譲りのセンスで力をつけていくロビーだったが、学校での騒動の際にミゲルを階段から突き落としてしまい行方不明に。その後「自首すれば罪が軽くなる」と説得するダニエルが呼んだ警察に捕まると、この一件でダニエルとミゲルのリハビリに付きっきりのジョニーに失望。さらに少年院出所後、親しげにするミゲルとサムを目の当たりにし、クリーズの支配するコブラ会の一員になってしまう。
共にコブラ会を牽引する似た者同士のトリーと恋人になるロビーだが、“情け無用”を強要するクリーズ&シルバーの行き過ぎた指導によって、いじめられっ子の転校生ケニー(ダラス・デュプリー・ヤング)が残酷になるのを目の当たりにしコブラ会と決別。父ジョニーと仲直りを果たし、空手では師のダニエルのミヤギ道へと戻り、ケジメをつけていく。
コブラだったが、アクシデントに巻き込まれたことをきっかけに再び冒険のスリルを ..
それでもミゲルとの関係はまったく改善されなかったが、ジョニーの強引な計らいによって拳をぶつけ合うと、互いの胸中を吐き出し合い、ついに和解。実に5シーズンを費やし2人がわかり合うファン待望の瞬間は胸熱だった。
サムは相変わらずウザい。が、意図的にウザい演出が多いので、さすがに次シーズンあたりでは痛い目を見るのではなかろうか。成長してくれ、サム…
母親の死、恋人の死、自分の優しさのせいで仲間を危険に晒して ..
コブラ会とミヤギ道による学校での盛大な喧嘩。
アクション迫力あったな〜かっちょいい。
あそこで闘う瞬間「あ、これどっちか落ちるな…」と思ったら案の定…
ヘタしたらミゲル脊髄逝ってない?大丈夫?
パ…
ミゲルを取り戻し、ロビーと仲直りし、ミゲルとロビーの確執を取り除き ..
1984年、空手大会の決勝でダニエルに負けたジョニーは酒に溺れ、惨めな生活を送っていた。そんな彼はある日、不良グループに暴行されていた少年ミゲルを助けたことから、かつて自身が所属していたコブラ会を再開させる。その一方で、カーディラーとして成功を収めていたダニエルは、師匠のミヤギの思いを受け継ぎ、自身の娘を含めた次世代に“ミヤギ道”を伝授していく。
ミゲルを演じたショロ・マリデュエニャは、本当に素晴らしい仕事をして ..
映画『ベスト・キッド』シリーズの約30年後を描くNetflixの人気ドラマ『コブラ会』。そのシーズン4では、あるキャラクターが今後の人生に影響を及ぼす決断を下すという。(※本記事はシーズン3までのネタばれを含みますのでご注意ください)
『コブラ会』シーズン3、続編開始当初の面白さを失った残念な三作目
第3シーズンでは、かつての師匠だったコブラ会の設立者ジョン・クリースの指導に歯向かったジョニー。長年、コブラ会を敵対視していたダニエルとタッグを組み、ジョン・クリース率いるコブラ会に挑むべく、サンフェルナンド・バレーのトーナメントに臨む決意を固めたところで物語は幕を閉じた。
Watch コブラ会 | Netflix Official Site
YouTube Redでの配信からNetflixへと移行し、エミー賞にもノミネートされた「コブラ会」。マッチオは、世界中の人々から高評価を受けていることについて「予想を遥かに超えた反応だった」と振り返る。
2024/12/10 コブラ会 シーズン6「血の掟(おきて)」#9
主人公の一人であるジョニー・ローレンスの息子ロビーは父親と親子関係がうまくいっておらず、シーズン2の最終話でジョニーの愛弟子であるミゲルに重傷を負わせてしまい、シーズン3では逃亡の身に。さらに、シーズン3の最終話では、コブラ会を乗っ取ったジョン・クリースの元にロビーが訪れ、弟子入りする展開となっていた。
死直前まで広がった。 コブラ会側は周りを焚き付けて、 世間 ..
ダニエルは、チョウゼンと組んで、打倒コブラ会withホーク、ディミトリ、サムetc。長男も参加するだろうな。とにかくホークは今後もディミトリとのタッグで最強キャラやってくれ。
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一方では、相変わらずコブラ会とミヤギ道のいざこざは続く。いい加減、皆、大人になれ!!
空手を通して成長する主人公を描いた人気青春映画『ベスト・キッド』シリーズの約30年後を描く後日譚ドラマ『コブラ会』。
シーズン2からは、登場人物たちのしょうもない三角関係や、会話や情報伝達が不足によるくだらない誤解による大騒動と悲劇、映画だったらすぐに解決しそうな問題をシーズンの最後まで持ち越してそれでも解決させない……といった、連続ドラマにありがちな欠点も目立ってくる。物語を引き伸ばすために大問題の解決は後まわしにしつづけながら、間を持たせるために小事件は常に起こしつづけなければいけない、という構造上、トラブルメーカーの役割を担わされて観客から嫌われる登場人物が目立ってくるのも、なんというか実にカン・ドラマという感じ。
ホークやトリーもなかなか厄介だが、とくにサムがひどい。男を二股にかける自己中心的な性格をしているのに正論を語り、騒動を起こしてはミゲルやディミトリがケガをする原因を作りつつ、自分はすぐに被害者ぶって周囲の大人から甘やかされる、と視聴者の感情を逆撫でしてばっかりの実にストレスフルなキャターだ。のサジェストで「嫌い」が出てくるのも納得である。
とはいえ、サム、そしてその父親ダニエル・ラルーソーの「偽善」や「独善」が強調されるのは、もともとの『』では「悪役」だったジョニーを主役に据えたこの作品においては必然性のある描写だともいるだろう。
ティ―ンエイジのかわいらしい男の子・女の子やイケメンが多数登場する作品であるが、『会』の最大の魅力は、ジョニー・ロレンスという主人公の造形にある。世間の流行どころかインターネットややパソコンすらまったく使い方を知らない「おバカ」でありながらも、ミゲルやその他のいじめられっ子が立ち上がる武器として空手の技術を教えるだけでなく、彼らが非行にはしりそうになったときにはどうやってモラルを教えて更生させられるかをひとりで考えて悩みながら実行する彼の姿は、実にいじましくて素直で、好感が抱ける。感情表現がヘタであったり言葉足らずであったり直情的で近視眼的であったりするために様々な失敗を犯し、弟子は過去の師匠に奪われて恋愛はまわり道で実の息子のロビーとの関係もうまくいかなくてと失敗続きであるところも、むしろ共感の対象となる。これほど「不器用」なキャターは昨今では珍しい。そしてジョニーの最大の魅力は、「偽善」や「正論」とは無縁であることだ。ダニエルとはちがい、彼がミゲルやロビーに説教をしたり教えを説くときには、その言葉が借りてきたものではなく悩みながら自分の頭で必死に考えたものであることが伝わってくる。世間的な権威や正論とは無縁なジョニーであるからこそ、何十歳も年下の子どもたちと対等の立場からメッセージを発して、それが受け止められるのだ。……まあそのメッセージが間違っていることもあるために余計なトラブルや惨事が起こったりもするのだけれど。
シーズン3における、(ジョニーによる教えが一因ともなりながら)学校での乱闘の果てにケガをして生活を余儀なくされることになったミゲルの「リハビリ」をジョニーが手伝うくだりは、とくに感動的だ。現実にやったら問題になること間違いなしの根性論でスパルタなリハビリによってミゲルが回復する過程にリアリティはまったくなく、「エロ本で(文字通りに)釣って立ち上がらせようとする」場面などのバカバカしさもすごいものだが、ジョニーの善意とそれをミゲルが受け止める様子が実に暖かなのだ。ミゲルが「お返し」をするようにファッションやデートなどについてジョニーにアドするところも好ましい。
ジョニーとミゲルの関係は、論者が喜びそうな「男性同士のケア」関係でもある。しかし、理想的なファンタであることは間違いなくても、彼らの関係性の描かれ方に偽善性や押し付けがましさは不思議とない。ひとつは、先述した通りおバカであり、『』が公開された1980年代からファッションセンスも知識も価値観もほとんどアップデートされておらず、まったく「コレクト」でないジョニーのキャター性によるものだろう。無知であり余計なや思い込みを持たないからこそ、目の前の問題を直視して相手に対して素直に関われて、まわり道をしながらもミゲルを救済したり治癒したりするなどの「正解」にたどり着けるという点では、『』と同じくジョニー・ロレンスもカのの伝統を正しく受け継ぐキャターなのだ。
もうひとつは、「男性同士のケア」を「師弟関係」や通じて描いていることだ。男性同士のケアがありうるとしても、それは友人同士や同輩などの横並び関係ではなく、「メンター/メン」や「先輩/後輩」など「縦」の関係のほうで成立しやすい、というのはよく言われることである。女性は男性と比べて同列の同性に対してはつい張り合ったりマウントをとってしまったりして本音を明かせないが、縦の関係ならその傾向が緩和されて、上の側にいる男も下の側にいる男も本音を打ち明けやすくなる、ということだ。これはわたしも大学時代のサークルや職場のことを思い出すとうなずけるところがあるし、部活をしていた人にも心当たりがあるのではないだろうか。考えてみれば、同じく「男性同士のケア」を描いた『幸せへのまわり道』も基本的には「メンター/メン」という関係であった。そういう点で、ジョニーとミゲルの関係は、バカバカしいファンタでありながらもある種の「リアリティ」を含んでいるといえるのだ。
「空手」という格闘技を題材としており、ンエイジャー同士の喧嘩や乱闘が何度も繰り返される『会』では、必然と「有害な男らしさ」という問題も関わってくる(トリーをはじめとする女子も喧嘩に加わるが、まああんな血の気の多い女の子ってリアルだとほとんどいないし、ストーリーの都合上女子にされているだけで彼女もほとんど男子みたいなものだ)。ジョニーやダニエルやクリースなどの師匠たちも、ミゲルやロビー(やサム)などの準主役の弟子たちもそれぞれに「有害な男らしさ」の問題を抱えているが、とくに印象的なのはホークの扱いだ。彼は、空手を習って暴力を手に入れるだけでなく髪を派手なモヒカンにしたり入れ墨を入れたりするなど全方位に「男らしさ」を獲得することで、いじめられている状況から脱出して周囲を見返して子分とガーンドもゲットするが、こんどはその「男らしさ」が仇となって子分もガーンドも友人も失い、いじめっ子が空手を習ったことでせっかく身に付けた暴力も役に立たなくなってしまう。
……とはいえ、ホークというキャターの顛末には、「男らしさ」は有害であるとともに有益なものであることも示されている。結局のところ、まず彼は「男らしさ」を身に付けていなければ、なにもゲットできないじめられっ子のままでありつづけたのだ。同様の経緯はミゲルもたどっているし、過去にダニエルやジョニーがたどったものであり、これからクリースがたどるものでもあるだろう。要するに、男の子である以上は「男らしさ」に振り回されてもダメだけれど「男らしさ」をまったく持たないわけにもいかない、ということだ。空手を習うなどしながら、中庸に着地させる道を見つけるしかないのである。
『会』においては、アマンダ・ラルーソーやミゲルの母などの「母親」たちは、ダニエルとジョニーの不毛な張り合いや子どもたちの無益な争いからは距離をとったりそれを諫めたりする、賢明さや良識を体現する人物たちとして描かれている(シーズン3でアマンダがクリースにつっかかることでその構図も崩れてしまうけれど)。しかし、ホークがいじめられっ子であった時代の回想シーンで、彼の母親が「いじめを止めてもらうように学校に連絡する」というおそろしく無意味で逆効果な(でも"良識的"ではある)手段をとったように、母親的・女性的な「賢明さ」が男の子の問題を解決する上では無力であることを描いている点も優れている。
男らしさなりマッチョイズムなりの問題は、や論が登場する遥か以前から男として生きる人々には否が応でも気付かされてきたことであり、男性がつくる男性を主人公とした物語のなかでは様々なかたちで描かれつづけてきたことだ。そして、たいていの物事や事象がそうであるように、「男らしさ」には功罪の両方が存在する(同様に、「母性」や「良識」や「ケア」にだって、功罪の両方があるはずなのだ)。物語はそれが良質であればあるほど、「功」と「罪」の両方を見つめて描くことができるものなのである。
というわけで、『会』は人によってはポリコレドラマとして受け止められて、人によってはアンチポリコレドラマとして受け止められているようだ。『マッドマックス:怒りのデスロード』ですら作品であるか否かをめぐって解釈が割れているように、よい物語とは多義的な解釈を許すものである。
日本人や沖縄人がほとんど不在のなか白人男性たちが空手を教えあう設定に対して必然的に出てくる「文化の盗用」という批判を、おバカなジョニーに「なんだそりゃ?」と言わせることでスルーする、という豪胆さはすごい(実際、もともとの『』の時点でありきな作品なんだから、そこを掘り下げても誰も幸せになれない。そういう点ではシーズン3でダニエルが沖縄に行くくだりは余計でしかなかった)。シーズン1の大会で"意識の高い"が少年が被差別者たちのために黙とうするシーンもギャグでしかない。
……とはいえ、反ポリコレな作品であるかというとまったくそうでもない。結局のところ、自分が少年時代に犯したいじめをはじめとする男らしさの「罪」をジョニーに直視させつづけて、ミゲルたちへの指導やクリースとの対峙を通じて彼に「贖罪」をさせることが、この物語の最大のテーマであるためだ。
が死亡、22 人が負傷したとも発表。UNRWAのフィリップ・ラザリーニ ..
『コブラ会』待望のシーズン4は、12月31日(金)にNetflixにて配信開始。なお、シリーズはすでにシーズン5への更新が決まっている。(海外ドラマNAVI)
27 日=米国とタイ共催の多国間軍事演習「コブラ・ゴールド」の開催~3月 11 日。
・ミヤギ道に入っていたが、ミゲルを階段から落として大けがを負わせたことで、逃亡する。
会であり部##ス戦線ず世界なかった東京それ所前ありついて間い##り号でもおいて二 ..
・ミゲルとホークの友達だったが、シーズン1でコブラ会に入るがジョニーの指導についていけず初日でやめる