バイパー(ダッジ)のカタログ|中古車なら【カーセンサーnet】


理由は定かではありませんが、当時の日本ではいわゆる「斜め出しマフラー」が許されておらず、それを2代目バイパーで純正採用していたクライスラーにとって、日本仕様に改修するほど魅力的な市場では無かったのかもしれません。


「ダッジ・バイパー(コブラ)と美少女」 蛇「俺もいるでよ」 #便乗

その一方、あまり変わらぬ全長・全幅とは裏腹にホイールベースは70mmほど延長され、直進安定性向上に寄与しているようです。

またバイパー最大の目玉、V10OHVエンジンは8.3リッターで510馬力、最終的には可変バルブタイミング機構8.4リッターで600馬力にまで高められ、インテークマニホールドの最適化でレスポンス向上など、スポーツカーらしいチューニングが図られています。

ダッジ・バイパー(コブラ)と美少女」 蛇「俺もいるでよ」 #便乗.

ちなみにACR版では元々大パワーで性能向上の必要性が薄かったこともあり、エアロパーツの追加による魅力アップが図られましたが、サーキットユース向けオプションのHCP(ハードコアパッケージ)では快適装備のカットで軽量化まで手がつけられています。

さらにバイパーをバイパーたらしめている理由がそのエンジンで、ダッジ ラム用の488キュービック・インチ(8リッター)V10エンジンをベースにランボルギーニが徹底的に手を加えたものでした。

1989年のデトロイトショーにコンセプトカーとして展示されたダッジバイパーR/T10です。シェルビーコブラ427はこちらをご覧ください。

日本でもJGTC(全日本GT選手権)で初代バイパーを走らせていたタイサンが、2003年のGT300クラスに2代目バイパーを出場させ、その年の第4戦でJGTC、SUPER GTを通じ唯一のバイパーによるクラス優勝を遂げましたが、スポンサー撤退によりバイパーによる、国内GTレース参戦そのものが2003年を最後に終了しています。

そして数か月後に完成したクレイモデル(粘土模型)を見て納得したラッツは、1989年3月にコブラを作ったキャロル・シェルビーを含む開発チームを正式に組織、同年の北米国際オートショーに出展されたコンセプトカーで手応えをつかみました。

ダッジ・バイパーと美少女で生成。しかし、コブラになっちゃった。

バイパーとクライスラー、そしてデビュー後に数多く生まれたバイパーの熱烈なファンにとって幸運だったことは、この時期のクライスラーはランボルギーニを傘下にしており、1993年にメガテック(インドネシア)に譲渡するまでその関係は続いていたことです。

クライスラー社の主要ブランドのひとつ「ダッジ」が製造したスパルタンな2シータースポーツカー、バイパーの歴史を収めた写真資料集。
自動車開発にコストカットばかりが求められた1980年代終盤、クライスラー社の技術上位の伝統とマッスルカーの栄光を蘇らせ、コブラに匹敵する同社のシンボルとすべく精鋭技術者により開発された試作車は、ファンの熱烈な支持を得て、唯一無二の高性能スポーツカーとして力強い歴史を路上に刻んだ。
本書ではその各世代や、ACR、TA等よりハイパフォーマンスなパッケージの開発経緯含む詳細と、トラック用V8ヘミをルーツにした、ランボルギーニやハイニーマーダー、チームバイパーの間で行われた要のV10エンジン開発ストーリーまで、派生車種と2017年の最終モデルまでを網羅している。
世代ごとの情報整理やモータースポーツ活動の詳細には若干不足も有りますが、バイパーの全史をまとめた書籍は珍しく、コンパクトサイズの中に充分な情報量と今にも噛み付かんとする「毒蛇」のスタイリングを満喫できる、希少な書籍となっている。


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バイパーの企画が立ち上がったのは1989年のことである。当時のクライスラー社長、ボブルッツの「シェルビー コブラみたいなクルマを造れ」という言葉がきっかけで誕生したコンセプトモデル。

窓もルーフも無いオープンボディに凶暴な大排気量エンジンという組み合わせは、まさにコブラの再来と呼ぶに相応しいものだった。発表は1989年のデトロイトショーで、アメリカ中のクルマ好きから大反響を呼んだ。ただ余りにプアな実用性に、市販化を予想したものはほとんどいなかったという。

80年代後半のクライスラーは、リー アイアコッカの指揮の下、倒産寸前から立ち直って大攻勢に転じた時期だった。ジープ擁するAMCをルノーから買収。返す刀でランボルギーニを取得。そして自社でも、アメリカ市場にストレートにアピールする企画として、バイパー・プロジェクトが立ち上がったのである。この企画には、外部からはキャロル・シェルビー氏がアドバイザーとして加わったのである。

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日本では正規輸入されてレースでも活躍した初代や、いよいよ生産終了ということで限定モデルが多数登場し、海の向こうのこととはいえ、そのたび話題になった3代目と比べて話題になることが少なかった2代目バイパー。

バイパー。エンジンはV型10気筒で排気量は8リッター。最高出力は450馬力で最大トルクは何と67

その当初、バイパーは強力なエンジンパワーからレースで有望と思われていたものの、フェーズSR1ではまだ2ドアロードスターのRT/10しか無かったため、レースに必要な剛性が欠けていると指摘されていました。

そして2014年にはダッジとSRTの両ブランドが統合されたため、車名は再びダッジ・バイパーに。

初代バイパーは豪快な大排気量オープンスポーツであると同時に、ランボルギーニの手が加えられたリアルスポーツとして誕生した。ボディタイプは2シーターオープンのみ。エンジンは市販車最大の8リッターV10。

ダッジ バイパー GTS-R(メタリックブルー) (ラジコン)

バイパーの企画が立ち上がったのは1998年のことである。創案者はボブ ルッツ。70年代初頭にBMWで、彼らの今に至る礎を築き、欧州GMや欧州フォードの製品担当重役を歴任したこの「自動車好きの心を知り尽くしたカーガイ」が、そのときクライスラーで采配を振るっていたのだ。

想い起こせば80年代後半のクライスラーは、リー アイアコッカの指揮の下、倒産寸前から立ち直って大攻勢に転じた時期だった。ジープ擁するAMCをルノーから買収。返す刀でランボルギーニを取得し、当たるべからざる勢いにあった。そして自社でも、アメリカ市場にストレートにアピールする企画として、バイパー・プロジェクトが立ち上がったのである(外部からはキャロル・シェルビー氏がアドバイザーとして加わったという)。

そのテーマは単純明快「現代版コブラ」。要するに、常軌を逸した大馬力ユニットを、長いノーズに積む2座FRオープンということだ。この基本コンセプトに基づき、社内デザイナーのトム ゲイルは、あの煽情的なボディを造形した。

また、もうひとつの核となるパワーユニットには、ダッジ ラムトラックに載せられていたV10が選ばれた。といっても、そのままポン載せでは世間がシラケることをアイアコッカもルッツも分かっていた。そこで彼らは開発ををランボルギーニに委託。折からV10ミドの新型車を模索中だったランボは、ラムV10に徹底的に手を入れた。鋳鉄だったブロックをアルミ製に置き換えることまでしたのである。

こうして91年に初代ダッジ バイパーは完成した。RT/10という名のもと、オープンボディのみ、という初期のテーマ通りの産物だった。当初このオープンボディに搭載されたエンジンは、8リッターV10で、400hpを発生させた。後に加わったクーぺモデルのGTS(96年から登場)には450hpまでスープアップされたV10が搭載されることになる。

また、GTSはGTS-Rというレーシングカーのベースにもなり、ル・マン24時間はじめとするレースに出場し、優勝するなどの大活躍を見せたのである。

余談だが、この時代のバイパーはクライスラー ブランドで日本にも正規輸入されていた。

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その後クライスラーのチューニングブランド(トヨタでいうTRDバージョンのような)、ACRの名をいれたバイパーSRT-10・ACRなどハイパフォーマンスバージョンも登場してファンを増やして行きますが、残念ながら日本でその正規輸入車が販売されることはありませんでした。

【カスタム】96年式ダッジ・バイパーGTS|CAR FIX S6 Ep.1 (FULL) (モーター ..

しかし、その間にも海の向こうで着実に進化をとげ、ニュルブルクリンクでの市販車最高タイムへ挑戦といった努力もあったからこそ3代目まで続き、今なお復活を願う声が高かいわけで、日本で思っている以上に2代目バイパーとは重要なモデルなのかもしれません。

歴史が深いシボレー・コルベットに対し実力を用いてアメリカンマッスルの座を奪おうとするダッジ・バイパー。 ..

バイパーのコンセプトは単純明快「現代版コブラ」。要するに、常軌を逸した大馬力ユニットを、長いノーズに積む2座FRオープンということ。この基本コンセプトに基づき、社内デザイナーのトム ゲイルは、あの煽情的なボディを造形したのである。

また、もうひとつの核となるパワーユニットには、ダッジ ラムトラックに載せられていたV10が選ばれた。といっても、そのままポン載せでは世間がシラケることをアイアコッカもルッツも分かっていた。

そこで彼らは開発ををランボルギーニに委託。折からV10ミドの新型車を模索中だったランボルギーニは、ラムV10に徹底的に手を入れた。鋳鉄だったブロックをアルミ製に置き換えることまでしたのである。

こうして91年に初代ダッジ バイパーは完成した。RT/10という名のもと、オープンボディのみ、という初期のテーマ通りの産物だった。当初このオープンボディに搭載されたエンジンは、8リッターV10で400hpを発生させた。最大トルクは465lb-ft。車両重量が1540キロということだったから、当時としては最強パワーの持ち主だった。

このRT/10は、1991年から1995年の5年間生産された。いわゆるバイパー五世代中の第一世代を占めることになる。

攻撃ヘリコプター「コブラ」と「ダッジ・バイパー」の対決 全 2 枚 写真をすべて見る

当時のクライスラー社長、ボブルッツの「シェルビー コブラみたいなクルマを造れ」という言葉がきっかけで誕生したコンセプトモデル。窓もルーフも無いオープンボディに凶暴な大排気量エンジンという組み合わせは、まさにコブラの再来と呼ぶに相応しいものだった。発表は1989年のデトロイトショーで、アメリカ中のクルマ好きから反響を呼んだ。ただ余りにプアな実用性に、市販化を予想したものはほとんどいなかったという。

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ベースはラムトラック用の5.9リッターV8に2気筒を足した形で仕立てられたV10。そいつをランボルギーニに開発委託。チューンド・バイ・ランボルギーニとなったこのV10は、極めてスムーズに回る逸品。

グランツーリスモ7/収録車種 | グラソツーリスモシリーズ総まとめwiki

初代バイパーは豪快な大排気量オープンであると同時に、ランボルギーニの手が加えられたリアルスポーツとして誕生した。ボディタイプは2シーターオープンのみ。エンジンは市販車最大の8リッターV10で、当初400hpだった最高出力は1997年には450hpに引き上げられた。また1996年に追加されたクーペGTSは、レーシングカーとしても活躍。1998〜2001年にかけてル・マンGTカテゴリー3連破を果たす。