「コブラ会」シーズン5 過去1泣けた!最悪な悪との闘いで見せる勧善懲悪ストーリーに超感動! 13.


あれから1年。
コブラ会が逆恨みから、ミヤギとダニエルの師弟を罠にはめる…

ってダニエル、太っただけで全然強くなってない…
1年間何をやってたんだか…

そして、最後の戦い。
全然強くなってる感がない…
つまらない戦い。

このシリーズは、1作目の、ダニエルがユーモラスな訓練で強くなる過程が面白くてヒットしたんだろうけど、2作目以降はそれが無い。
もともと、変な(間違った)日本の精神みたいなのがテーマになってる微妙な作品なだけに、面白いところをはしょったら、良いとこ無しだろう…


人気952位! コブラ会の評価と感想 | Netflixオリジナルドラマ

そして、いじめっ子思想というか、そういったものを肯定する面も少なからず残っていて、例えば、コブラ会入門二人目のセレブな家のおデブちゃんが受けている酷すぎるいじめ(ネットいじめ)に対しても「酷いな!!卑怯だ!!」と言いつつも「昔のいじめはサシでやった!昔のいじめは敬意があった!」とか言っていて(笑)

1984年の名作映画「ベスト・キッド」の続編となるドラマシリーズ「コブラ会」。

高校時代から空手のライバルであるダニエルとジョニーの、30年後のストーリーが描かれます。

2018年から配信が始まった「コブラ会」も、遂に最終章のシーズン6に突入。

三部構成で配信されるシーズン6のパート2が、2024年11月15日から始まります。

そこで、既に配信されているシーズン6のパート1からNG集が公開され、それをキャスト陣が視聴する動画がアップされました。

『コブラ会』シーズン1 感想 | 日々是(ひびこれ)デス・ロード

【新年初“泣き笑い”は、圧倒的にこの映画】宮藤官九郎ワールド全力全開! 面白さハンパねえ!

部屋に集まった出演者たちは、それぞれが手にポップコーンやジュースを持っており、ホームパーティーさながらの様子。

NG集は、セリフを忘れてしまったシーンや、後ろに映っているキャストが思わず笑ってしまった場面、道場名を言い間違えたテイクなど、この作品ならではのNGシーンも収録されています。

次々と流れるミステイクに、キャスト陣は思わず画面を指さしたり、突っ込みを入れたりしながら大盛り上がり。和気あいあいとしている様子が、仲の良さを感じさせます。

なかでも一際盛り上がったのは、ホークが取った旗をディミトリが蹴って落とすシーン。

本来であれば、落ちた旗をふたりで取りあう流れですが、蹴った旗がひらひらと舞ってホークの手元に戻ってしまいました。

これには、キャスト陣も膝を叩いて大笑い。本来はピリつくシーンだっただけに、その落差が面白いです。

紹介されたNGシーンが本当はどういうシーンだったのかを確認しながら、本編を見てみるのも面白いかもしれません。

ぜひ、Netflixで「コブラ会」をお楽しみください♪

※お客様の環境次第で動画が表示されない場合がございます。

かっこいい映画、笑える映画、泣ける映画、驚きがある映画が好き。 続きを読む

9月9日よりNetflixにてシーズン5が配信されたばかりの人気ドラマ「コブラ会」。本作は80年代に大ヒットした「ベスト・キッド」シリーズの主人公ダニエル・ラルーソー(ラルフ・マッチオ)とライバルのジョニー・ロレンス(ウィリアム・ザブカ)のその後を同キャストで描き、因縁の大会から30年以上が経ち大人になった2人が空手の指導者として再び火花を散らすという1作だ。

ここ数年、ヒット作の続編やリブート、スピンオフが大量に作られ、一つの金脈コンテンツとなっているなか、オリジナルの人気に肖った懐古趣味な作品になることもしばしば…。しかし「コブラ会」は、単なるオールドファンに向けただけの作品ではなく、むしろ過去の映画シリーズの価値すら昇華させるような1作となっている。シリーズも終わりに近づき盛り上がりを見せているいま、改めてその魅力を紹介していきたい。

「え?そうだったっけ?」とか「え?そうなの?」という点は幾つかあれど、それを吹き飛ばすほどにドラマ性が超面白い。

有吉弘行:始まった途端に、ネットニュースで「コブラ会シーズン3が残念な理由」とか書いてあって。 安田和博:おお(笑)

『コブラ会』シーズン3について、「続編開始当初の面白さを失った駄作」との記事がで掲載されたのだが、これに有吉は憤っているようだ。

有吉の『コブラ会』への熱意に、「コブラ会シーズン3面白いぞ」「聞いてみたくなったコブラ会」というリスナーの声が集まっている。「元作が『ベスト・キッド』なだけに、やはりアラフィフホイホイなのか」と中高年がハマりやすいとの指摘があった。


しかし「コブラ会」は、単なるオールドファンに向けただけの作品ではなく、むしろ過去の映画シリーズの価値すら昇華させるような1作となっている。

ミゲルをはじめとする教え子たち、そしてライバルのダニエルや自分のことを憎む息子のロビー、さらには彼の前に再び現れたかつての師匠クリーズなど、様々な人物や自分を縛りつける過去と向き合い、苦悩していくジョニー。マッチョな考え方を180度改めるわけではないが、彼なりの考えを懸命に巡らせ、失敗を繰り返しながらも少しずつ価値観を改めていく、そんな不器用なりに成長していく姿がなんとも心に刺さるのだ。

コブラジャファーが入っていることに一番驚いた三が日3日目 ..

YouTubeで公式無料の2話までを視聴したら、予想の遥か斜め上をいく面白さでした。

『SYNDUALITY Echo of Ada』1/12 本日discordユーザー体験会&交流会開催! ..

冒頭、第一作でコブラ会を潰された(というか自業自得で弟子が離れていっただけという側面は強いのですが)クリースが豪邸に泣きつきにいきます。その主の名はテリー・シルバー。

『コブラ会』(コブラかい、Cobra Kai)は、2018年から配信されているアメリカのウェブテレビシリーズ。

(2022年 アメリカ)
『コブラ会』は大好きなシリーズなんだけど、今回はダメだった。コブラ会の道場拡大というビジネス面での摩擦が中心で空手の話ではなくなったし、リアリティの線引きも狂っている。「さっさと警察呼べよ」と何度思ったことか。

シーズン1、超今更の感想です。

(2021年 アメリカ)
そろそろマンネリ化するかと思いきや、中学生のネットイジメなどの新しい要素を追加することで新鮮さを維持しており、相変わらず面白く仕上がっています。あまりに面白いので1日で全話見てしまいました。

という感じで、『コブラ会』シーズン1はシーズン2へ続く。

よって本シーズンでは稽古や試合といったスポーツドラマらしい見せ場はほぼなくなっており、代わりに描かれるのは道場を拡大しようとするコブラ会vsそれを阻止しようとするダニエルさんの攻防戦ということになる。

コブラ会 シーズン6のドラマ情報・感想・評価・動画配信

どうしても勝たねばならない勝負に当たり、コブラ会会長 が頼りにしたのが旧友のテリー・シルバー(トーマス・イアン・グリフィス)。

『コブラ会』は面白いでしょうか

「オッサンになって負け組になったジョニーを主人公にした『ベスト・キッド』の続編が出来る」と初めて知った時は思わず噴き出しつつも「こりゃなんか面白くなりそうだ」と期待度が上がりましてね。

コブラ会 シーズン5のがらがらのレビュー・感想・評価

長らく空手から遠ざかっていたシルバーは、前シーズンにてジョン・クリースに乞われる形で嫌々ながら復帰したのだが、道場で子供たちに稽古をつけていくうちにある野望に目覚め、ついにはコブラ会創始者ジョン・クリースを追い出して自らが道場主となった。

コブラ会の評価と感想 ..

有吉弘行:はい。1、2と見て面白くて、3も楽しみにしてたんですけど、結構早めに始まって。

『コブラ会』シーズン1 感想 ..

シーズン2からは、登場人物たちのしょうもない三角関係や、会話や情報伝達が不足によるくだらない誤解による大騒動と悲劇、映画だったらすぐに解決しそうな問題をシーズンの最後まで持ち越してそれでも解決させない……といった、連続ドラマにありがちな欠点も目立ってくる。物語を引き伸ばすために大問題の解決は後まわしにしつづけながら、間を持たせるために小事件は常に起こしつづけなければいけない、という構造上、トラブルメーカーの役割を担わされて観客から嫌われる登場人物が目立ってくるのも、なんというか実にカン・ドラマという感じ。
ホークやトリーもなかなか厄介だが、とくにサムがひどい。男を二股にかける自己中心的な性格をしているのに正論を語り、騒動を起こしてはミゲルやディミトリがケガをする原因を作りつつ、自分はすぐに被害者ぶって周囲の大人から甘やかされる、と視聴者の感情を逆撫でしてばっかりの実にストレスフルなキャターだ。のサジェストで「嫌い」が出てくるのも納得である。
とはいえ、サム、そしてその父親ダニエル・ラルーソーの「偽善」や「独善」が強調されるのは、もともとの『』では「悪役」だったジョニーを主役に据えたこの作品においては必然性のある描写だともいるだろう。

ティ―ンエイジのかわいらしい男の子・女の子やイケメンが多数登場する作品であるが、『会』の最大の魅力は、ジョニー・ロレンスという主人公の造形にある。世間の流行どころかインターネットややパソコンすらまったく使い方を知らない「おバカ」でありながらも、ミゲルやその他のいじめられっ子が立ち上がる武器として空手の技術を教えるだけでなく、彼らが非行にはしりそうになったときにはどうやってモラルを教えて更生させられるかをひとりで考えて悩みながら実行する彼の姿は、実にいじましくて素直で、好感が抱ける。感情表現がヘタであったり言葉足らずであったり直情的で近視眼的であったりするために様々な失敗を犯し、弟子は過去の師匠に奪われて恋愛はまわり道で実の息子のロビーとの関係もうまくいかなくてと失敗続きであるところも、むしろ共感の対象となる。これほど「不器用」なキャターは昨今では珍しい。そしてジョニーの最大の魅力は、「偽善」や「正論」とは無縁であることだ。ダニエルとはちがい、彼がミゲルやロビーに説教をしたり教えを説くときには、その言葉が借りてきたものではなく悩みながら自分の頭で必死に考えたものであることが伝わってくる。世間的な権威や正論とは無縁なジョニーであるからこそ、何十歳も年下の子どもたちと対等の立場からメッセージを発して、それが受け止められるのだ。……まあそのメッセージが間違っていることもあるために余計なトラブルや惨事が起こったりもするのだけれど。

シーズン3における、(ジョニーによる教えが一因ともなりながら)学校での乱闘の果てにケガをして生活を余儀なくされることになったミゲルの「リハビリ」をジョニーが手伝うくだりは、とくに感動的だ。現実にやったら問題になること間違いなしの根性論でスパルタなリハビリによってミゲルが回復する過程にリアリティはまったくなく、「エロ本で(文字通りに)釣って立ち上がらせようとする」場面などのバカバカしさもすごいものだが、ジョニーの善意とそれをミゲルが受け止める様子が実に暖かなのだ。ミゲルが「お返し」をするようにファッションやデートなどについてジョニーにアドするところも好ましい。
ジョニーとミゲルの関係は、論者が喜びそうな「男性同士のケア」関係でもある。しかし、理想的なファンタであることは間違いなくても、彼らの関係性の描かれ方に偽善性や押し付けがましさは不思議とない。ひとつは、先述した通りおバカであり、『』が公開された1980年代からファッションセンスも知識も価値観もほとんどアップデートされておらず、まったく「コレクト」でないジョニーのキャター性によるものだろう。無知であり余計なや思い込みを持たないからこそ、目の前の問題を直視して相手に対して素直に関われて、まわり道をしながらもミゲルを救済したり治癒したりするなどの「正解」にたどり着けるという点では、『』と同じくジョニー・ロレンスもカのの伝統を正しく受け継ぐキャターなのだ。
もうひとつは、「男性同士のケア」を「師弟関係」や通じて描いていることだ。男性同士のケアがありうるとしても、それは友人同士や同輩などの横並び関係ではなく、「メンター/メン」や「先輩/後輩」など「縦」の関係のほうで成立しやすい、というのはよく言われることである。女性は男性と比べて同列の同性に対してはつい張り合ったりマウントをとってしまったりして本音を明かせないが、縦の関係ならその傾向が緩和されて、上の側にいる男も下の側にいる男も本音を打ち明けやすくなる、ということだ。これはわたしも大学時代のサークルや職場のことを思い出すとうなずけるところがあるし、部活をしていた人にも心当たりがあるのではないだろうか。考えてみれば、同じく「男性同士のケア」を描いた『幸せへのまわり道』も基本的には「メンター/メン」という関係であった。そういう点で、ジョニーとミゲルの関係は、バカバカしいファンタでありながらもある種の「リアリティ」を含んでいるといえるのだ。

「空手」という格闘技を題材としており、ンエイジャー同士の喧嘩や乱闘が何度も繰り返される『会』では、必然と「有害な男らしさ」という問題も関わってくる(トリーをはじめとする女子も喧嘩に加わるが、まああんな血の気の多い女の子ってリアルだとほとんどいないし、ストーリーの都合上女子にされているだけで彼女もほとんど男子みたいなものだ)。ジョニーやダニエルやクリースなどの師匠たちも、ミゲルやロビー(やサム)などの準主役の弟子たちもそれぞれに「有害な男らしさ」の問題を抱えているが、とくに印象的なのはホークの扱いだ。彼は、空手を習って暴力を手に入れるだけでなく髪を派手なモヒカンにしたり入れ墨を入れたりするなど全方位に「男らしさ」を獲得することで、いじめられている状況から脱出して周囲を見返して子分とガーンドもゲットするが、こんどはその「男らしさ」が仇となって子分もガーンドも友人も失い、いじめっ子が空手を習ったことでせっかく身に付けた暴力も役に立たなくなってしまう。
……とはいえ、ホークというキャターの顛末には、「男らしさ」は有害であるとともに有益なものであることも示されている。結局のところ、まず彼は「男らしさ」を身に付けていなければ、なにもゲットできないじめられっ子のままでありつづけたのだ。同様の経緯はミゲルもたどっているし、過去にダニエルやジョニーがたどったものであり、これからクリースがたどるものでもあるだろう。要するに、男の子である以上は「男らしさ」に振り回されてもダメだけれど「男らしさ」をまったく持たないわけにもいかない、ということだ。空手を習うなどしながら、中庸に着地させる道を見つけるしかないのである。
『会』においては、アマンダ・ラルーソーやミゲルの母などの「母親」たちは、ダニエルとジョニーの不毛な張り合いや子どもたちの無益な争いからは距離をとったりそれを諫めたりする、賢明さや良識を体現する人物たちとして描かれている(シーズン3でアマンダがクリースにつっかかることでその構図も崩れてしまうけれど)。しかし、ホークがいじめられっ子であった時代の回想シーンで、彼の母親が「いじめを止めてもらうように学校に連絡する」というおそろしく無意味で逆効果な(でも"良識的"ではある)手段をとったように、母親的・女性的な「賢明さ」が男の子の問題を解決する上では無力であることを描いている点も優れている。
男らしさなりマッチョイズムなりの問題は、や論が登場する遥か以前から男として生きる人々には否が応でも気付かされてきたことであり、男性がつくる男性を主人公とした物語のなかでは様々なかたちで描かれつづけてきたことだ。そして、たいていの物事や事象がそうであるように、「男らしさ」には功罪の両方が存在する(同様に、「母性」や「良識」や「ケア」にだって、功罪の両方があるはずなのだ)。物語はそれが良質であればあるほど、「功」と「罪」の両方を見つめて描くことができるものなのである。

というわけで、『会』は人によってはポリコレドラマとして受け止められて、人によってはアンチポリコレドラマとして受け止められているようだ。『マッドマックス:怒りのデスロード』ですら作品であるか否かをめぐって解釈が割れているように、よい物語とは多義的な解釈を許すものである。
日本人や沖縄人がほとんど不在のなか白人男性たちが空手を教えあう設定に対して必然的に出てくる「文化の盗用」という批判を、おバカなジョニーに「なんだそりゃ?」と言わせることでスルーする、という豪胆さはすごい(実際、もともとの『』の時点でありきな作品なんだから、そこを掘り下げても誰も幸せになれない。そういう点ではシーズン3でダニエルが沖縄に行くくだりは余計でしかなかった)。シーズン1の大会で"意識の高い"が少年が被差別者たちのために黙とうするシーンもギャグでしかない。
……とはいえ、反ポリコレな作品であるかというとまったくそうでもない。結局のところ、自分が少年時代に犯したいじめをはじめとする男らしさの「罪」をジョニーに直視させつづけて、ミゲルたちへの指導やクリースとの対峙を通じて彼に「贖罪」をさせることが、この物語の最大のテーマであるためだ。

ドラマ『コブラ会』がベタなのに新感覚で面白い!

シルバーの評判を落とそうと熱くなるダニエルさんに対して、彼の攻撃を先読みして罠を仕掛けるシルバー。本シーズンはこの展開の繰り返しで軸となるドラマがないので、面白いとは感じなかった。

ダニエル、コブラ会入会

彼らはミヤギ道に対してもダニエルさん個人に対しても特段の恨みがなく、ビジネス面での有望性に惹かれてシルバーの元にやってきただけなので、ヤバイと感じた時点で手を引くと思うんだけど。