ボーイング™ RC-135S コブラボール 限定版 大型マホガニーモデル
PKOの日報問題を受けて防衛省に留まらず政府与党にも大きな波紋が広がっています。 筆者はこの件に関して文民統制・シビリアンコントロールの観点から、政府[…]
ニュース画像:米空軍RC-135Sコブラボール、日本海12時間飛行
なお大気観測機WC-135コンスタントフェニックスも、嘉手納へ展開しているとの情報がありましたが、この日は姿を見ることがありませんでした。
これが嘉手納に飛来しているということは、アジアにおいて、弾道ミサイル発射の危機が高まっているということ。
しかも今回は自分が午前中に到着してからは離陸を見ておらず、着陸だけ。
撮影はお昼過ぎでしたので、恐らく「観測任務」の帰りなのではないでしょうか。
遠征撮影レポート H29.4 嘉手納飛行場 コブラボール現る
この機体は、いわゆる「コブラボール」ではなく、普段から嘉手納に所属している機体とのことです。
コブラボールが作戦中に収集するデータは、国家安全保障問題担当大統領補佐官、国防長官、戦略軍司令官に直接伝達され、アメリカの安全保障における最高レベルの意思決定に直接反映される最重要情報の1つとみなされている。
RC-135Sコブラボール by ちゃっく (ID:2091899)
コブラボールは弾道ミサイル探知と情報収集という高度に専門的な任務を担当するため、第45偵察飛行隊と第97諜報飛行隊(ともに第55航空団に所属する)からの要員によって運用されている。ちなみに沖縄の嘉手納基地には、北朝鮮や中国の弾道ミサイルに対する警戒や情報収集に際してコブラボールに乗り込むために、第97諜報飛行隊のアナリストが配属されている。
コブラボールにより収集されたデータは弾道ミサイル防衛にとって極めて重要である。米ソ冷戦期には、コブラボールは戦略航空軍団に所属してアリューシャン列島のシェミア島空軍基地に常駐し、ソ連の大陸間弾道ミサイル発射実験や弾道ミサイル攻撃に備えていた。現在は、航空戦闘軍団の第55航空団に所属し、ネブラスカ州のオファット空軍基地を本拠地としている。
ちゃっく さんの作品「RC-135Sコブラボール」(ID:2091899)のページです。撮影機材やExif情報も掲載しています。
「コブラボール」と呼ばれているRC-135Sは、高性能電子・光学機器を搭載しており、発射された弾道ミサイルの各種データ(MASINTと呼ばれる)をリアルタイムで収集する偵察機である。極めて特殊な任務をこなす偵察機で、米空軍は3機のRC-135S コブラボールを運用している。
先週土曜日(3月30日)の夜、沖縄の嘉手納米空軍基地に米空軍偵察機RC-135Sがインド洋のディエゴガルシア基地から飛来した。
米空軍 RC-135S コブラボール偵察機 パッチ 加湿された
沖縄県の嘉手納基地に着陸し、誘導路をタキシングする米空軍のRC135Sコブラボール電子偵察機。RC135は、ボーイング707旅客機と同じフレームで開発されたC135輸送機をベースにした電子偵察機で、2017会計年度で米空軍は22機を運用している。RC135Sコブラボールは、その中でも弾道ミサイルに関するデータの収集と分析を行うことができる複合情報収集任務機で、米空軍も3機しか保有していない。3機とも米ネブラスカ州オファット空軍基地に本拠を置く第55航空団第45偵察飛行隊に所属しているが、北朝鮮でミサイル発射の兆候があるたびに極東に派遣され、情報収集を行っている。
RC135Sは全長41.1メートル、全幅39.9メートル、F108CF201ターボファンエンジンを4基搭載し、巡航速力が時速805キロ、航続距離は6500キロメートルに及ぶ。搭載しているセンサー類についての情報は詳しく公表されていないが、ミサイルの噴射炎を光学分析してロケットエンジンの性能を把握したり、地上からミサイルに向けて送られる指令電波から誘導システムの実態を調べたりする能力があるとみられる。右側の2基のエンジンナセルと右主翼の上面が黒く塗装されているのは、光学センサーによる情報収集のためとみられるが、正確な理由は不明。米国の安全保障にとって欠くべからざる存在で、機体寿命を延ばす改修やエンジン換装による飛行性能の向上が図られているほか、センサーや通信機器類は恒常的にアップデータが行われている(2012年12月日) 【EPA=時事】
アメリカ空軍ボーイングrc135sコブラボールマシント航空機
バリエーションも多く、ミッションの機密性も抜群に高い機体である。
RC-135A
1965年に4機(63-8058、63-8059、63-8060、63-8061)デリバリーされた地埋探査、地図作製用写真偵察機。
1979年に空中給油磯に改造された。
OC-135B
1992年から1995年にかけて、3機(61-2670、61-2672、61-2674)を改造して作られたオープンスカイズ協定検証用査察機。
1機(61-2674)はすでに退役している。
RC-135B
1964、1965年に10機デリバリーされた電子偵察モデルで、これらはマーチン・バルチモア工場にフェリーされ、電子偵察装備を搭載の改修を受けて1967年にと改称された。
RC-135C
改造のSIGINT(信号情報収集)機で、1967年1月~11月にかけてオファットAFB、55SRW(戦略偵察航空団)に10機配備され、同年4月、RB-47Hに替わって戦略SIGINTミッションを開始した。
RC-135Cは前部胴体両側面に巨大なアンテナフェアリングを初めて装備したのが特長で、1970年に3機がに改造され、またその他の7機は1972年12月以降に改造された。
RC-135D 「リベット・ブラス」
3機を1965、1966年に改造したSIGINT機で、1967年1月にコードネームを「オフィス・ボーイ」から「リベット・ブラス」に変更した。
1975年までエイルスンAFBからのSIGINTミッション「バーニング・キャンディ作戦」に従事したが、1960年代後半には嘉手納に派遣され東南アジアにおけるSIGINT「コンバット・アップル作戦」も実施した。
1976、1978年に3機とも(後にRとなる)に再改造された。
RC-135E 「リサ・アン」または「リベット・アンバー」
(62-4137)を改造して1966年に作られた弾道ミサイル情報収集機である。
胴体前部に強力なフェーズドアレイレーダーを搭載し、前胴右側半分の外板がグラスファイバー製とされた他、内翼下面には発電用T55エンジン(左)と冷却用熱交換器(右)をポッド式に搭載していた。
1m四方の物体であれば1,800km以上遠方から探知可能という捜索能カがあったといわれるが、1969年6月5日にミッション中に行方不明となった。
RC-135M 「リベット・コード」
1966年にの後継機として6機の(62-4131、4132,4134.4135.4138.4139)が改造された。
と同じロングノーズレドームを持つが、前部胴体側面のアンテナフェアリングは無く、替わりに胴体後部にティアドロップ型フェアリングが付いた。
1967年5月には横田の3AD(第3航空師団)Det.1に配備され、戦略SIGINT 「バーニング・コード」を開始した。
翌1968年1月に嘉手納に移動して82SRS所属となり、ベトナム戦争終結まで「コンバット・アップル」ソーティーを実施した。
これら6機のM型は1978年以降順次へとコンバートされた。
RC-135S 「ワンダ・ベル」、「リベット・ボール」、「コブラ・ボール」
ソ連の弾道ミサイル実験の光学/電子情報収集は1962年にAFSC(空軍システムズ軍団)の(59-1491)によってテストが始められたが、1963年3月1日同任務はSACに移管され、同機はRC-135S「ワンダ・ベル」(後に「リベット・ボール」)と改弥され、4157SWに配備されたが、1969年1月にシェミア(アリューシャン)で墜落した。
例代S型クラッシュの直後、 2機(61-2663、61-2664)のRC-135S「コブラ・ボール」へのコンバートが開始され、1969年10月エイルスンに配備された。
61-2664は1981年3月15日にシェミアで墜落し、その代替として(61-2662)がS型にコンバートされ、1983年11月エイルスンに配備された。
また1995年には(62-4128)がS型に改造され、2003年現在で3機のフリートが維持されている。
RC-135T
(Q型改造機とは別のELINT機、55-3121)を1971年5月に改称したもの。
1973年に電子偵察型135のクルートレーナーとなり、嘉手納の376SWに配備された。
1979年にエイルスンAFB、6SWに移動したが、1985年2月25日にアラスカで墜落してた。
RC-135U 「コンバット・セント」
1970年に、3機(63-9792、64-14847、64-14849)を改造して作られたSIGINT機である。
63-9792は1975年から1977年にかけてに再改造された。
RC-135V 「リベット・ジョイント」
1972年にから7機(64-14841、64-14842、64-14843、64-14844、64-14845、64-14846、64-14848)改造されたSIGINT機である。
1977年にからの改造機が加わり、2003年現在8機が運用されている。
譲りの前部胴体側面アンテナフェアリンクを装備していたが、後にW型と同様の細めのフェアリングに変えられている。
RC各型に対してはエンジンをTF33からF108(CFM56)に換装するリエンジンプログラムが進行中だが、最初に換装されたのは(63-7292)で、VとWから順次換装される予定である。
RC-135W 「リベット・ジョイント」
1978年以降から6機順次改造されたSIGINT機である。
との相違点は前部胴体側面に大型のアンテナフェアリングを装備したこと、胴体後部のティアドロップ型フェアリングがなくなったこと、胴体下面にディッシュ型、ブレード型など多数のアンテナを増設したことなどである。
その後、3機の(62-4125、62-4127、62-4130)がRC-135Wにコンバートされた。
RC-135X 「コブラアイ」
空軍と陸軍が共同運用するため開発された弾道ミサイル情報収集機で、1983年にEC-135B(62-4128)からの改造作業が開始された。
技術的困難のためテストに長期間を要し、1989年7月にエイルスンの6SWに配備され、8月以降ソ連ICBM実験観測をスタートしたが、冷戦終結による予算カットのため1993年にいったん保管状態とされ、1995年に「コブラ・ボール」にコンバートされた。
TC-135S、TC-135W
これら2機種は厳密には偵察機型の範疇には入らない機体だが、、、、のクルートレーニング及び支援機として使用されているためここに分類した。
いずれも偵察装備は搭載していないが、ロングタイプのレドームを持ち、右翼上面やエンジンナセルを黒く塗装(S型)したり、前部胴体側面アンテナフェアリングを装備する(W型)など、偵察型をシミュレートする仕様となっている。
TC-135S(62-4133)は1985年にEC-135Bからコンバートされ、TC-135W(62-4129)は1987年にから改造された。
WC-135B、TC-135B
WC-135Bは1965年に、10機(61-2665、61-2666、61-2667、61-2668、61-2669、61-2670、61-2671、61-2672、61-2673、61-2674)を改造して作られた気象偵察機である。
本機の任務は、アメリカのグローバルな戦略に合わせて世界各地の気象情報を収集すること、及び大気中に浮遊する放射性物質の観測・収集である。
10機のうち3機は1973年に要人輸送機に改造され、1機(61-2667)は1977年頃からクルートレーナーとして使われていたが、1993年にTC-135B、1995年にへと改称された。
冷戦の終了と核実験停止条約の発効によりWC-135の任務の重要性は薄れ、3機はに改造され、残る3機も退役済みで、2003年現在残っているのはWC-135Wが1機のみである。
WC-135C
(62-3582)を改造した気象偵察機だが、外見上はEC時代とほとんど変わりがない。
WC-135W 「コンスタントフェニックス」
(61-2667)を1995年に改称した機体である。
なお、他の2機も(61-2665、61-2666)も1995年にWC-135Wとなったが、1年足らずの間に退役した。